山村甚兵衛知行分(木曽方)の知行地内の検地(内検)は、久々利役所に関係ある可児方面より順次、東へ向って進められて、貞享二年(一六八五)二月、手金野村をもって終了している。
中津川市内関係五か村について、その年月は次のようになる。ただ落合村については、「古検ノミ」とあって、何故か、貞享検地が実施されなかった。
村名 検地年月日
中津川 貞享元年一月~四月
川上(かおれ) 貞享二年
落合 「古検ノミ」
茄子川 天和三年一〇月~(木曽方分のみ)
手金野 貞享二年十一月~二月
千旦林 天和三年一〇月~(木曽方分のみ)
中津川検地をまとめた「検水帳」(検地帳のこと、中津川村の表題は検水帳)は、四冊あったが、現存は中津川村のうち町分、本郷の田分をまとめた紙数二五三枚(上紙共、うち墨付二五〇枚)の大冊が一冊のみである(菅井家文書)。「御上御扣 四冊之内」と表紙をつけ、その次に本表紙がくる。本表紙には「貞享元暦濃州恵那郡中津川村町 在郷検水帳」(Ⅱ-6)となっている。中味は上質の紙をつかい丁寧に書かれている。
検地月日、字名、地位、反別、分米、名請人名(分付、内付もある)を一筆ごとに記入されている。四冊のうちの一冊であるから、中津川村全体とはといえないが、本郷、町の田分であるから、四冊のうちではもっとも重要なものであり、大略の傾向は把握できるものであろう。以下、この「検水帳」によって中津川村検地について考察してみよう(市史中巻別編)。