湯舟沢村に残る「検地仕様」の九条(二七〇頁)に「タテ縄は少しくらい違っても良いが、ヨコ縄の違いは大きいから、一組の頭か功者成者打申物者也」という意味の一項がある。この意味について貞享元年よりは時代は下るが、手金野岡本家の「諸事旧記より見出留帳」に「田法坪割之事」として、田の測り出し方法をのせている。その要旨は次のようである。
横の間数不残〆(しめ)上ケ 横ニ打候数七処ニテ タテ候ハバ 右之間ヲ横ニ打たる数七処ナレバ七ニテ割り たて数九ヲ カケテシルナリ 尤(もっとも)尺ハ壱間に直シテ〆(しめ)上割ナリ 猶々横打之場所ハ筋所ニテもウチ候方が宜也」と解説し、図解を附している。
Ⅱ-9 田法坪割の図(岡本家文書)
つまりⅡ-9表でいうと、Aを測る。a~gまで測り、それを七でわって平均値を算出し、それとAをかけて面積を出す方法である。一般的に長間(田の長い方、図のA)がタテであり、ヨコとは長間と垂直に交わる幅間のことであろう。
Ⅱ-9表のA、及びabc……gともに畔代、溝代分として一尺を除く。(尾張領は三尺除くという、江戸時代後半は、そのまま測って二割三分引き)、この方法で一筆の反別を出す。ついで案内の村役人の意見、検地役人の眼力で地位を判定する。反別と地位の二者を掛けて分米がきまる。
このような仕事を一日平均約一町一反して、その日にやった分は夜おそくなっても、その日のうちに図もかき、分米まで記入しておくことを検地仕様は役人に要求している。