中津川村の検地実施コース

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すでに記したように中津川村の町、本郷の田分検地は貞享元年一月二四日にはじまり、三月一四日に終っている。この間を、どのように実施して廻ったか、一筆ごとに、反別の肩に記入されている字名を、検地実施日ごとに判明した分(読方不明を除く)をあげていくと、
 一月二四日 随王寺(大泉寺の前身、下町から杉之町付近、寺の下)
 一月二五日 寺の下、川原(中津川に近い下町、大正町付近)
 一月二六日 川原、寺の下、志も川原(桃山町付近か)、つき出し(桃園町付近か)、おちせん
 一月二七日 がいと、寺の下、つき出し、いけ田、四つ目川原、そうくわん田、おたけ田
 一月二八日 かっの下、ふうめん、やぶの内、柳の坪
 一月二九日 柳の坪、山の神、つき出し、おちせん、石田
 二月 一日 大田、丸田、淀川、やじま、蜂の志り、ほらだ
 二月 二日 下大田、蜂尻、五斗まき、淀川、古道、小淀川、中田
 二月 三日 赤だい、そぶ田、細田、おちせん溝向、大明神まえ、坂の下、小淀川
 二月 四日 赤だい、大明神前、くいた畑
 二月 五日 くいた畑、赤たい
 二月 六日 花の木 畑の中、新左衛門がいと、淀川
 二月 七日 淀川、東円寺、すぐし、ちょっかい嶋
 二月 八日 花の木、山の神、四っ目川、風呂之上、風呂めん、清水だいど、袖の子、ひしゃてん、こみがいと
 二月 九日 五反田、下タ井、井の下、堀の内、竹の木、清水
 二月一〇日 川原、竹の下、上渡場、志やく嶋
 二月一二日 下タ川原、中川原、次郎大夫渕、滝の下
 二月一三日 井の下、井の上、ねぎや、ねぎやかいと
 二月一四日 ねぎや前、ミふくち、中沼、ほらだ、木の下、下モ沢、九た田、きゃしてん、野くろ、むね金
 二月一五日 関や田、助十田、ちげんな
 二月一六日 野くろ、法道寺、あなた、砂田、たなか
 二月一八日 ぼた上、砂田、道下、井戸洞、藪下、野中、うしろの木、柿木平、黒沢、かまごり、こせ
 二月二〇日 こミがいと、竹の下、道下、ミずまたぎ、大般若田、黒沢ばた、竹の腰、細山、神の木、中嶋、井の下
 二月二一日 細がいど、井の上、折の上、森下、そね田、鳥居前
 二月二二日 森下、竹のはな、ふか沼、よし原、嶋田、洞田、ちれん坊
 二月二三日 黒沢、ちれん坊、山の神、志やく嶋、中嶋、下モ井、竹の下、洞田、嶋田
 二月二四日 えの木がいと、よし原、石田、森下、柿の木平、寺田、いけつくり、中嶋
 二月二五日 中川原、嶋田、森下、野くろ、はり、法道寺
 二月二六日 法道寺、野くろ
 二月二七日 法道寺
 二月二八日 入道田、井下、中沼、野くろ、ミつくだ
 二月二九日 一色、ミつくだ、ちょっかい嶋、東円寺
 二月 晦日 東円寺
 三月 二日 吉原田、山の田、洞、東円寺
 三月 六日 山の田
 三月 七日 屋敷の内
 三月 八日 三五沢、ふかれ、下モの田、洞田、中島、梅木下 林下、八っ田、やくわだ、溝向
 三月 九日  井下、橋つめ、はしご田、おこし、地蔵堂、山の田、道上、天水田、八ツ田、ひやけ田
 三月一一日 道下、細平、ほだ下、はた田、打田、下のかや、赤田、熊の田
 三月一二日 井の下、石原、井の下、大門前、ふか沼、竹の下、中沼、川井田
 三月一三日 大志やうし、ミセ町、ほだ下、道下
 三月一四日 中洞、志水田、道上、そね田

Ⅱ-10 中津川村田分検地コース想定図(貞享検地帳)

 これらの字名をみると、どの地域にもあると考えられるのは川原、山の神、かいと、そぶ田、蜂尻、井の上、井の下、ほらだ、野くろ、たなか、おこし、はしご田、天水田、志水田、道上、道下、などで、中津川村の特色ある字名として、柳の坪、大田、赤だい、花の木、淀川、小淀川、すぐし、ちょっかい嶋、東円寺、黒沢、法道寺、ミつくだ、三五沢、地蔵堂などが現在も残る地名としてあげられる。
 これらをもとにして、まわりの字名を推定して、検地実施日の進むごとに線を引いていって、想定して作成したのがⅡ-10表である。これによって検地コースをたどると、先ず西生寺の付近からはじまって、現下(しも)町の西、杉野町付近から、桃園町方面を川上川(中津川)近くまで進み、一転して、コースを東にとり、街道下の四っ目川付近から、現駅前近くをへて、白山町方面へ出て、ここから淀川ぞいに、東小学校付近まで行い、ついで市民病院付近から清水町方面へ進み、段丘をおりて、川上川(中津川)沿いの田を実施してから、中村を法道寺付近から、八幡神社前、黒沢とまわり、残された川上川沿いの平地を実施して、再び、法道寺へ向い、ミつくだ、一色をへて、東円寺へ出て、それから、上金、子野、北野とまわって、再び上金へ出て終了しているように推察できる。