名請人分類⑨にあげたものである。貞享検水帳(田分、町、本郷分)の中には、これが三筆あって、次のようである。
小淀川
一 下田一反六畝 定使分 弥次右衛門
分米一石六斗
赤だい
一 下田一畝一五歩 定使分 弥次右衛門
分米一斗五升
東円寺
一 沼下田二畝二一歩 定使分 弥次右衛門
すべて弥次右衛門が名請人であり、場所は現在の白山町から東小学校附近までの間であろうか。反別計は約二反、分米計は約二石である。
定使は、村役人の項でもふれたように、役所にいて、諸要件を村内外に通達することを役目とした定まった役目で、給料が出た。それにあてるための田地をさすもので弥次右衛門が耕作していたわけである。
宝暦六年の名寄帳では、下(し)タ町に「定使二石二斗八升九合」とあって、これは引高に入っているが、その性格から当然である。