検地帳記載百姓数

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次に四支配別の検地帳に記載されている百姓数(戸数)についてまとめてみたいが、それぞれ年代の異なる検地帳によるのであるし、釜戸方の分は不明であるから、一時点の茄子川村の百姓数を把握できない。
 そこで支配別百姓数(戸数)を目安程度にまとめたのがⅡ-18表である。

Ⅱ-18 茄子川村知行別百姓数

蔵入方(尾張方)七二、木曽方(山村方)二三、久々利方(千村方)一一の順、つまり茄子川村内の知行高順になっている。当然であるが、高持百姓のみである。
 Ⅱ-19表は蔵入方、木曽方、久々利方別に百姓名、分米などを一覧表にしたものである。これによると、最大は木曽方の作十郎(安田作十郎、山村氏の代官を勤めたこともある)二八石余で抜き出ている。一〇石代は三方あわせて二二名(蔵入一一名、木曽方九名、久々利方二名)になる。「内付百姓」は木曽方に「作十郎内与八郎」の一名のみである。「分付」は一六名いるが、下新井の「治郎兵衛」分が目を引く。治郎兵衛名分は計で二八石余になり、作十郎より多くなり、地侍系の家であったろう。
 五石代が一五名、二石代が一〇名、一石代が四名となっている。中津川村と比較すると、茄子川村は、大高持、小百姓ともすくない。

Ⅱ-19 茄子川村蔵入方・木曽方・久々利方別、百姓と分米
◇蔵入分百姓名・高・分米(正保五年検地名寄帳)


 


◇木曽方百姓別 分米(元和三年検地帳)


◇久々利方百姓別 分米(享保一八年名寄帳)

(1) これを木曽方(山村方)の二三名について反別、分米などをまとめてみる。
 ・本田合計反別  一八町一反七畝六歩
 ・本畑合計反別   三町六反五畝
 ・本田畑合計反別 二一町八反二畝六歩
 ・一戸平均反別     九反四畝
 ・新田畑合計反別  三町八反六畝一八歩
 ・二三戸の本百姓のうち、一町歩以下一〇名であるが、五反以下はいない。三町歩以上は作十郎のみで、比較的中程度の百姓がそろっているといえる。
 ① 平均分米について
  ・本田畑平均分米~一〇石五斗二升五合九勺
  ・新田畑平均分米    八斗八合六勺
 ② 分米の階層分布について
  ・四石以下なしで、四石~九・九石が五七%
  ・一〇石~一四・九石が三四・四%
(2) 蔵入分(尾張方)百姓について、同様まとめてみると、諏訪の前、野田、坂本、町分、中切、下新井に分布している。
 ① 反別について、
  ・約半数の三三戸百姓は六反~三反で、木曽方と比較して、五反百姓が多い。
  ・最大は町分にいる原内で、一町四反、最小は諏訪の前長八郎で二畝(下畑ばかり)である。
 ② 分米について
  ・二〇石以上は三名、一九石~一五石は四名、一四石~一〇石は一七名、九石~五石は三一名、四石~一石は一六名、それ以下一名である。
  ・一〇石以下は四八名である。
 屋敷年貢については、(検地帳の中に一筆として屋敷をもっている名請人百姓)
 諏訪の前二名、野田、坂本一〇名、町分六名、下新井八名となり、合計二六戸である。七二戸中二六戸であるから、三六%となる。
 屋敷面積の最大は原内で四畝歩である。他の大部分は一畝~二畝であるから、大きな家を構えていた百姓はいないことになる。