江戸時代初期

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岩村領は松平氏[寛永一五年(一六三八)まで]、丹羽氏[元禄一五年(一七〇二)まで]、松平氏[明治維新まで]の三氏がうけついで封ぜられた。
 はじめの松平氏時代に領内全体の検地を行なったかどうかを証するものは阿木村、飯沼村内からは見あたらず、はっきりしたことは分からない。
 しかし、青野村年代記によると、青野を開いた鷹見弥左衛門は、慶長一九年(一六一四)に三河国里木村より阿木に来て、青野に入り猟業の間に、田畑を切開いていき、寛永元年(一六二四)より年貢米三石六斗上納するようになったとある。
 また、阿木村のうちの枝村、両傳寺新田村については、同年代記に「両傳寺村ハ松平和泉守様御代荻野平右衛門様御開発之所ニテ‥‥‥」とあり、荻野平右衛門に同行して、阿木村に来たと考えられる。阿木村四六九八番地の今井家伝によれば、三河国志波郷より出て岩村城に仕え、後にこの地に来て開発をはじめたといわれている。
 さらに阿木村宮田の安藤家年代記では、元和四年(一六一八)に三河国西尾の浪士辰五郎が、この地に来て開発地に着手する。これが安藤家の祖とある。
 この三つから、岩村家臣で帰農する者、三河方面から来て開発した者があったことが分かる。こうした新開地を新田枝村と認めた経過には、検地に該当する作業が実施されたことは十分推定される。