口米、口永

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年貢を納める際の筆紙墨、その他の雑費にあてられるもので、岩村領分では、古高(本田畑高)について、「右高之分者(ハ) 米一石ニ付三升宛口米上納仕候御事」(飯沼村元禄六年差出帳)とあって、一石に付き三升を納めている。尾張領では、蔵入知分は年貢米一石につき三升の口米で、これは代官の手数料として、はじめは口米全部が代官などの収入であったが、天和二年(一六八二)より、口米高をきめ、その残りは尾州徳川家の収入とした。
 尾張領の給人領では「一石に付四升出之定法に三升口を加えて七升口米別段に給人江納取候処、天和元酉年(一六八一)より此分上江被召上」(尾張藩古義)とあって同領の蔵入分の口米より四升多くなっている。これは口米としての三升と、給人夫々の家法にて納入させていた四升の込米(後述)を合計したものであって、本来、給人の収入であるが、尾張徳川家へ召し上げられたわけである。
 これについて、次のような文書がある。
 
      覚
  一 高四千六百四石五斗四升七合 村数拾八ヶ村内弐百四石三斗壱升七合
      前々より村々にて出高分
   当未年概免弐っ壱分三厘
   取米九百八拾石七斗六升九合
   此七升口米 六拾八石六斗五升四合
   代文金六拾四両三分 文銀壱匁壱分
    但 御直段文金壱両[米壱石六升銀六拾匁]替
  右ハ千村平右衛門知行所当未年(宝暦元年(一七五一))
   物成七升口米差上申ニ付 村々井料 庄屋給引捨 概免如斯相違無御座候 以上
  宝暦元年未十二月 伊藤磯右衛門(千村平右衛門代) 印
                   (県史史料編近世九-三一)
 
 久々利方が七升口米を尾張表へ納入していることを示している一例であり、金銀納に替えておさめている。
 苗木領では「元苗木県ニ於テ口米之儀 本米一石ニ付四升宛 正租ノミニ掛ケ取立来候 以来正租雑租共 並之通米三升ヅツ取立外一升の分 以来免除可然御座候哉 当県伺 明治五壬申年六月廿日」(苗木県伺書・県史史料編近世三)とあって、一石に四升の口米を元高についてのみ掛けている。
 この掛け方は岩村領などと同様であるが、一升多くなっている。だから明治維新の廃県にあたり、一升を免除したらと伺っているのであろう。
 なお明治五年明細帳(越原村)では口米三升、また天保九年(一八三八)巡見使のおりについて中野方町史では口米三升となっている。