日比野村
一 米三斗八升五合 問炭之米-ア
内弐斗 問之米
一 米壱石三斗五升 糠(ぬか)藁代-イ
但 訳ハ古帳にあり
一 米壱斗壱升八合七勺 同断寛文六年午秋より改納ル-イ
一 米弐斗九升六合八勺 寛文七未ノ秋より改出ス 糠藁代-イ
一 米八升八合三勺 同九酉秋より改出ス 糠藁代-イ
~以下糠藁代八項あるが略す~
上地村
一 米四升三合九勺 おがわ作兵衛より糠藁代、貞享弐丑年より納ル-イ
瀬戸村
一 米壱斗 問之米 ア
一 米六升四合 炭 米 ア
一 米壱石壱斗四升八合九勺 糠藁代 イ
アにあげた「問炭米」は 瀬戸村にあるように「問の米」と「炭米」に別けてある場合が多い。上地村は享保の上納本帳には「問炭米」はでていないが、安永三年(一七七四)の年貢上納帳には「米三升四合壱勺 問炭」とある。この「問炭米」の性格は、よく分からない。
イにあげた「糠藁代」は藩用馬などの飼料代として、徴集したものであろう。
ア、イとも代米として、米で納めさせている。しかし米で代納することが仕来(しきた)りであったのではないようだ。このことを含め、その他に苗木領として、どんな小物成があったかを、慶安二年(一六四九)二月の定納帳(県史史料編近世三)より、あげてみる。
右之外村々小役
一 銀参百弐拾四匁 鉄炮役 ウ
一 銀九百三拾七匁八分六厘 斧役 エ
一 銀弐拾匁四分 承応三午年より免許 茶之代 オ
一 銀八百四拾五匁六分八厘 糠藁之代 カ
右記
但ぬかわら入候時ハ ぬかわらニて請取申候
承応三年より免許 但久大夫殿在城之節ハ可出之
一 銀百六拾参匁七分五厘 節木之代 キ
但壱束ニ付銀弐分五厘つゝ出申候 勿論木入申候時ハ木ニテ請取申候
一 参拾四丸は 紙船役 ク
但小紙也、壱帖四拾八枚切、壱丸ハ百帖也
一 米拾石は 福地山年貢 ケ
――――――――――略―――――――――
一 同四石 とい(問)の米村々より出ス コ
一 同五石八斗五升四合四勺は炭之米村々より出ス サ
一 鶫(つぐみ)鳥屋年貢 鳥をとり候時ハ見積年貢掛申候事 シ
此年貢米壱斗弐升ニ相定 左ニ書付消え、
この資料も入れて、苗木領関係の小物成をまとめるとⅡ-46表になる。
ウの鉄砲役は、Ⅱ-46表のその他によれば、鉄砲一丁について、銀二匁四分四厘の基準で納めることになっている。しかし同表のcが示すように、これを米に換算し、代米納の形で納入高をきめている。これは鉄砲をもっている百姓にかかる浮役運上であるが、苗木領では「鉄砲運上」とはいっていない(岩村領とのちがい)。
エの斧役について、木曽福島町史(上巻)は市村咸人氏[長野県郷土史家=故人]の教示として、木曽の斧役は、よき一丁が一戸の株、斧一丁を以て一戸を代表させる事は必ずしも無理ではないとしても、よき役は公民権に対する課税であったろうとして、その村総戸数に対して何人と指定したものであるまいかとしている(木曽福島町史三七〇頁)。苗木領の斧役は木曽と同様に考えられるものか、どうか、よく分からないが、同じ性質のものと考えたい。
オの茶之代は、茶の年貢として納めるもので白川筋が多かった。
カ糠藁之代は、藩用馬用の糠藁のことである。「ぬかわら入候時ハぬか わらニて請取申候」とあるように、現物納の場合もあったようであるが、オ、カ共に、Ⅱ-46表cが示すように代米納である。
キの節木の代は薪代のことであろう。一束=銀二分五厘と、慶安定納帳にある。
クの紙船役は、紙をすく紙船に対して、賦課したものである。Ⅱ-46表cが示すように、この他に「紙年貢」があったが、日比野、上地、瀬戸の三か村は「紙年貢」はなく、この紙船役か三か村に「小紙一丸四束五帖」として、賦課されていた。
ケの福地山年貢は、加茂郡福地村[加茂郡八百津町]のものであろう。
コの問の米は、次の「炭の米」と共に、苗木領の大部分の村に賦課されており、斧役と同じように、高持百姓の株にかけられたものではないかと考えている。
Ⅱ-46表a、cが示すように領全体では、「問い米」が四石六斗、「炭の米」が五石八斗五升四合四勺と、各村から代米納されており、代米の割合は鍛冶炭一俵=一斗二升としている。
Ⅱ-46 苗木領関係 小物成
シは「つぐみ」鳥屋(とや)の年貢である。Ⅱ-46表aとcに示されているように、上野村のものであろう。上野以外の村からも「つぐみ」を納めているが、定納帳にはでていない。
以上は定納帳に記載されている小物成分であるが、これらの現物(または代米)は、本途物成と共に、年貢米総高として、まとめられていた。Ⅱ-46表bに示す日比野、上地、瀬戸三か村の小物成は年貢総高をはじき出す役割をもっていたわけで、実際上納の小物成は、この他にあった。日比野村の請払元帳(植松家文書)や中野方町史によれば、それは大略次のようである。
○真綿・紙・葺板・灯松のように、領内の大部分の村に対して、定められた量が課せられているもの。
○定法小物成として、栗、かや、〆治(しめじ)、くるみ、白胡(しろご)ま、など、その村によって異なることもあるが、毎年一定の量を課せられているもの。
○御家中小物成として、苗木城の家臣へ、大豆、小豆、そば、ひえ、油えなどを毎年一定の量を納めたもの。
一 家中小物成納入
諸士一統、小物成入用高を書付致御代官ヘ頼〻差出候得者秋之未 村々ゟ自宅ヘ附送リ呉候ニ付受取候事 代米御代官前ニ而引継相払候也 (新田淳著 雑書荒増)
一 御家中渡小物受取方 村中三日(一〇月三日)ニ其組頭方ヘ庄屋罷出 五人組頭升(はかり)取りニて俵〆、村人足ニて才領、五人頭壱人相添ヘ差上ケ申候 (中野方村諸振合覚)
○御台所差上として、わらび、ぜんまい、鳥げ、柿渋、雉子などを 毎年一定量上納したもの。(強制献上物といえるもの)
○特定に対して、或る年に限って臨時に上納を命じたもの。
の五つにわけられるが、それについて「御上様より被下置候葺板灯松定法小物成代米代金ニして 定り之引石相除ヶ残り石高之割賦仕候」とある。