弘化二年(一八四五)の「中津川村納目録」(市岡家萬覚帳)に「綿布銀」高一石ニ付二分八厘也 九月上納」とあるし、明治初年の各村明細帳にもでてくるから、少くとも江戸時代後半には課せられていたことは事実であるが、そのくわしいことは分からない。
明治の村明細帳に記載された綿布銀を再録する。
○中津川村 銀四十五匁(名古屋藩北地出張所江相納)
○駒場村 年々是迠名古屋藩江差出申候
○落合村 銀七匁七分五厘ヅツ年々名古屋北地郡宰所ヘ相納申候
○千旦林付
山村方 三百十二文名古屋藩北地出張所ヘ相納候
千村方 三百拾弐文 年々名古屋藩江差出申日(ここでは綿布銀といわず、木綿銭といっているが、同一性格のものと考えられる。)
三百石方 なし
○千旦林村枝郷 中新井辻原岩屋堂村
山村方 三分是迠年々名古屋北地出張所江差出申候
千村方 三分是迠年々名古屋藩江相納申候
○茄子川村
山村方 拾四匁三分五厘是迠名古屋藩北地出張所江差出申候
千村方 四匁七分五厘是迠年々名古屋北地郡宰所江差出申候
とあって、納所の名称は少しずつ異なっているが、いずれも太田陣屋太田代官をさしている。
以上の他に、国役、助郷、村諸入用(市史中巻別編四九四頁)などの課役がある。