江戸廻米

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江戸参勤の大名と江戸定住の大名の妻子及び江戸在勤の家臣たちの食糧となる米の送付の負担であろう。特に大名とその妻子用は御膳米として「銘々壱人ニ付一日ニ壱升位えり申候(中野方町史)」とあるように入念にえり出して上納したものである。また家臣用は御並米として一日に八、九升をやはりえり出して上納した。
 これらの米は、毎年十一月中旬~十二月中旬までと、翌春の三月下旬~四月上旬の二回にわけて納められた。
 
 一 御年貢米 居村より木曽川通細目村黒瀬河岸へ陸路拾二里 夫より桑名湊へ船路二拾里
 
 とあるように、黒瀬[八百津町]までは馬で、それからは船で運送した。桑名までは村方の責任と負担であって、村の代表が上乗人として送り届けたものである。
 [参考]
 ①江戸廻シ御食糧之事
 一 御膳米 銘々壱人ニ付一日ニ壱升位えり申候 御並米八 九升より壱斗位えり申候
 一 与頭 五人頭其最寄へ罷出 米寄 相改 五人頭枡取り仕 俵致シ 上かわ相掛ケ 小口かがり ふどう(不動)掛ケ 入札 小口札 差札共ニ相付ケ置候 村中三日ニ受取申候
 一 御米御改之御役人様御出ノ節 米御覧ニ入レ 貫目相記申日 御請書御出役様ヘ差上ケ申候
 一 御差図日限之内ニ黒瀬問屋孫七郎ヘ相渡申候 右駄賃一俵ニ付 中之方村より黒瀬迄弐百五拾文づつニ御座候
 一 翌春御廻分ハ拵立候て 御蔵ヘ詰置申候
 一 黒瀬 桑名入用分 孫七郎ヘ相渡シ銀 壱俵ニ付丁銀五分づつ 外ニこも代一俵ニ付銭弐文五分づつニて渡シ置申候
 一 先年ハ村より黒瀬ヘ壱人罷出居申候て 村中之米受 御出役様並ニ南方中通りより惣代ニて罷出候上乗り人ヘ引合相渡シ 船積出来 上乗人之者桑名迄乗り届ケ 桑名問ヤヘ相渡申候
 一 右桑名迄運賃金並ニ御役諸入用 黒瀬問屋目録表 桑名より江戸迄運金並諸入用共ニ桑名御問屋目録表 村々より金子請取候次第目録弐通並ニ勘定書 共ニ御代官様ヘ差上ケ申候儀ニ御在候 (中野方町史)
 ②文化七年(一八一〇)中野方村は冬に一〇二俵を江戸廻米として上納し、その内訳は御膳米六俵、糯米一俵、並米九五俵で、運賃として四石七〇五〇(六両一分)を差引いている。このように年貢から運賃を差引く場合と村費負担の場合とあった(郷土史研究「苗木藩」苗木中学社会科部)。