天保六年(一八三五)山村氏の年貢収納状況について、山村氏の中津川代官をした大脇武一郎(自笑)のまとめたものがある。
一 高六千百廿二石九斗一升九合八勺
両御知行所惣高
内五千五百七十二石九斗九合三勺 本高
五百四十七石一升五勺 打出高
控 高
新田高
高之内
千石六斗八升七勺 川欠山押除地畝引
其外引石
残高
五千百二十二石二斗三升九合一勺 当時有高之分
此取米込口米〆
千四百七十一石六斗三升七勺 中津川辺
千四百廿二石二斗八升六合四勺六才 久々里辺
小以
二千八百九十三石八斗九升一合六才
年々ニ不減納ル
此内ニテ渡シモノス
米百十九石五斗四升五合三勺 返上納
合三千十三石四斗三升五合五勺五才
内六百八十六石六斗二升五合七才 米渡シ分
百六十五両二分二朱一匁七分
二分上米代金 両米一石ト見テ
小以八百五十二石余
残ル二千百六十一石四斗余
以上から、実際の収納は二千百余石であったことがわかる。