④について(増人・減人)

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 湯舟沢村では「湯舟沢村欠人帳」「湯舟沢村増人帳」とわけて記載されている。その一部をあげると
○欠人帳では
 
  一 与八郎下男六蔵八歳 濃州恵那郡落合村勘右衛門所へ去年譜代ニ遣し申候(奉公)
  一 友八郎父源右衛門八十一歳去年相果申候(死亡)
  一 平四郎妹つぎ三十二歳㐂兵衛甥六助とつれ合馬篭村へ罷出申候(結婚)
  一 清吉女房拾八歳 去年離別仕候(離婚)
  一 庄助男子七助去年当村より罷出 行衛知不申候(行方不明)
  一 林右衛門下女なつ十九歳 当村権兵衛 去年縁付申候(結婚、村内移動)
 
 「行衛(ゆくえ)知れず申候」と離村の場合、元禄一六年(一七〇三)には庄屋三〇〇文、五人組二〇〇文、惣百姓一〇〇文の過料が課せられたという。また探す場合内証尋(ないしょたずね)二〇日、あと五〇日、計七〇日が義務づけられた。享保五年(一七二〇)には内証尋をなくしたが、極貧の百姓で さがし出しても住む家のないものは探すに及ばないとしていた。
 下男奉公、死亡、結婚、離婚による出村、行方不明など、理由をあげて戸主との関係、氏名年齢などと共に記録されている。
○増人帳では
 
 一 与八郎下男太郎助女房二十八歳 木曽の内須原村孫助娘去年よび申候(結婚)
 一 利右衛門譜代小二郎七歳当村武平世粹(せがれ)去年召抱申候(奉公召抱)
 一 平蔵女子志よう二歳去年生申候(誕生)
 一 平四郎従弟六助二十八歳当村庄七世倅七年已前ニ当村罷出労々流浪仕 去年罷帰り拙者一家(庄屋与八郎家)に罷有候(出村より帰村)
 
 「志よう二歳去年生」とあるところから分かるように、誕生の翌年にはじめて、宗門改帳に記載されたことが分かる。
 結婚による入村、奉公召抱による異動、誕生、帰村など理由をあげ、欠人帳同様に丁寧に記録されている。湯舟沢村の欠人帳、増人帳は、このように「去年」一か年分について、記録し報告されているが、青野村の「宗門御改下書帳」では、
 
   出人の覚(享保九年分)
  弥平次姪
  一 つる廿八 是は拾弐年以前巳ノ年尾州領千旦林村彦右衛門所江縁付遣申候
  半七郎女子
  一 きよ 三十五 是ハ拾五年以前寅ノ年久々里領駒場村新右エ門所エ縁付遣申候
   入人之覚(同年)
  半七郎女孫
  一 志ゆん 是は去年御改以後ニ出生仕候
   村入人之覚(同年)
  弥平次下女
  一 つら 年廿七 是ハ去年ハ善右衛門組下(阿木村内)庄蔵下女ニて候処 去冬召抱申候
  半七郎下男
  一 孫助 年廿 是ハ飯沼村千之助抱之者旧冬召抱申候
 
とあって、a出人の覚として、結婚し他村へ出たものについて、去年分のみでなく、ずいぶん以前(一二年前-一五年前)分も記録されていること。b入人の覚(湯舟沢村でいう増人)については誕生は入人の覚とし、召抱下女などは村入人の覚として分けていることなど下書きのためもあろうが、くわしく書いている。