下男・下女

558 ~ 559 / 922ページ
湯舟沢村の宗門帳には、下男・下女と考えられるものとして、譜代下男、下女、年季奉公男女、及びそれらの子どもをあげている。享保二年の湯舟沢村宗門帳によれば、
・譜代下男 一八名。譜代下女 六名。年季奉公男 一名。年季奉公女 一名。下男下女奉公人の子ども 二名 計二八名となり、湯舟沢村全人口の約六%を占め、親が下男下女なら、その子も下男下女であることを示している。
 そこで享保二年から、享保二一年の間で、新しく下男、下女になった者をまとめてみると、Ⅲ-18表のようになる。
 この表から考えると、
 ○乞食行方不明と同様に、享保の前半に多く、後半には一件もない。
 ○筆頭者の叔父の子、または次男以下の子供の子(孫)に多い。年季は年配者、譜代奉公は子供に多い。
 ○喜兵衛死亡による一家分散奉公は悲しい。この理由は何か。
 ○一三件中、女は二件。

Ⅲ-18 下男・下女の出生所の調査