与八郎家の下男下女

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家族構成実例①で示した庄屋与八郎家は血縁家族数八名、下男、下女など一二名であり、下男下女の分類は、年季奉公関係者一名、譜代(親の代から下男、下女)奉公四血縁家族からなっている。これを延宝年中までさかのぼって、延宝四年(一六七六)から享保二一年(一七三六)までの間について、庄屋与八郎-伝右衛門の二代にわたる同家の下男、下女の様子を宗門帳から拾いだして、まとめると次のようになる。
 ① 下男、下女の人員は、延宝四年には二一名、天和三年(一六八三)一四名、それ以後享保二一年まで一五名~九名を上下している。
 ② 延宝四年、庄屋家には五血縁系と四名の下男、下女がいた。四名は男(伝七)二四歳で馬籠村。女(つる)二一歳中津川村より、女(きく)二一歳、千旦林村、女(いと)一二歳、岩村領飯沼村枝村大野村より来ている。五血縁系は、夫婦と子どもが三家族、夫婦だけ(夫五四歳、妻四二歳)が一家族、子どもだけ(一一歳、七歳、四歳)が一家族である。
 ③ 天和三年(一六八三)に二血縁家族、元禄元年(一六八八)に一家族、元禄一二年(一六九九)に更に一家族が、下男、下女の名簿から消えている。そのかわり、次つぎと新しい下男が入り、それぞれ女房をもち、子供が生まれている。
 ④ 延宝四年に、子どもだけであった兄弟三名の家族は、死亡まで、いわゆる譜代下男、下女としてつづいている。
 ⑤ 下女は嫁にいかず「家内生れ」と肩書きされた子どもをもつものがいる。
 ⑥ 延宝四年、庄屋家の下男、下女を宗門帳からあげると、次のようである。
 六蔵 五四歳   孫太郎 一一歳   長八 五三歳 上松村生れ
 女房 四二歳 (千旦林生れ)  はる 七歳 家内生れ  女房 五三歳 
     つた 四歳 家内生れ  甚九郎 二一歳 
 長吉 二六歳   金蔵 四六歳 当村生れ  長九郎 二四歳 
 女房 二二歳   なつ 三三歳   るす 六歳 
 あき 三歳   甥牛坊 四歳    
     まつ 八歳