江戸時代は、男系尊重で家系を継いで、家業を守っていく封建社会であるから、男性は一人前と認められた時戸主となって、家系を相続する。そうした場合に社会的な承認を求めて名前を改めることが多い。この家系維持と改名の関係を宗門帳によって調べてみると以下のようになる。
具体例として、庄屋家をあげてみると、正徳三年(一七一三)庄屋家当主与八郎は男性がなかったので、次女きよ(二〇歳)に聟養子を迎えた。この男性は村内檀平の倅で茂兵衛(二三歳)であった。茂兵衛は翌、正徳四年の宗門帳には、「傳右衛門と改名」と記載されており、結婚と同時に改名したことがわかる。与八郎は享保四年(一七一九)に六三歳で死亡すると、傳右衛門三〇歳は、戸主となって庄屋家をとりしきり始めた。
以上のような結婚による男性の改名が、宗門帳によると、湯舟沢村では、享保年中に一四件ある。結婚以外の場合は次のようである。
・戸主となり、家督を継いだ年に改名 一〇件
・親より田畑を譲り受け、分家をたてた年に改名 一件
・「権八郎(四二歳)襲名仕候 権右衛門という」このように父の死後、その名を継いだ者 一件
・理由未記載のもの 一四件
となっている。中には結婚、家督相続と二回改名した者もいる。その例として、八十郎-善次郎(二三歳)-結婚改名-半右衛門(三二歳)家督相続改名