千旦林村久々利方

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千旦林村本郷は木曽方(山村甚兵衛)、久々利方(千村平右衛門)、三百石方(山村八郎左衛門)の三知行所にわかれ、枝村の辻原・中新井村・岩屋堂は、木曽方、久々利方の二知行所になっていた。宗門帳は久々利方分が本郷、枝村とも何か年分が連続して残されており、村の生活の様子を知る手がかりとなる。宗門帳から、知ることのできる特色として、次の三つがあげられる。
 (1) 千旦林村本郷、久々利方分宗門帳には「女房かね」「兼之助母しの」「半蔵後家さと」というように、女房、母、後家に名前が記入されていること。
 (2) 千旦林村枝村辻原分の宝永年中の宗門帳には、湯舟沢村同様下人、借家人「○○地内住申候」などがある。なお下人には、「去ル冬めしかかえ申候」と一か年奉公人も比較的多いこと。
 (3) 千旦林村は、三知行所の入相支配地であるので、それぞれ知行分の田畑は、きまっているから、その持主(高持百姓)または実際耕作の小作人(無高百姓)が何らかの理由で、かわると「山村平六様知行所へ家内三人引越申候」とか、「同村三百石方より引越申候」という記載で、宗門帳より消去されたり、書き加えられたりしていること。
 これら三つをもとにしながら、本郷・枝村別に宗門帳から分かることを、もう少しあげてみよう。