Ⅲ-30 享保17年(1732)飯沼村年令別人口構成(宗門帳より)
一山村の小人数の実数構成表であって、大きな意味は持ち得ないものであろうが、表から判断できることを二~三あげると
①男子二一-二五歳の有配偶率 一〇・〇%
男子二六-三〇歳の有配偶率 五〇・〇%
男子三一-三五歳の有配偶率 六二・五%
②男子四一-四五歳で未婚者は下男二人である。
③女子一六-二〇歳に結婚者は二人いるが、
女子二一-二五歳では有配偶率では五六%と過半数になる。
この三つの傾向は湯舟沢村と同様である。飯沼村の場合では、宗門帳一五〇年間にわたって、ほゞ残存するので、同じことを年代順に調べることが可能となる。たとえば、男子二六-三〇歳は享保一七年、五〇%であるが、文化七年頃では六〇~七〇%、女子二一-二五歳で前者で五六%、後者で六五%以上となり同様の傾向を示すというように、江戸時代後半において飯沼村では結婚年齢期の有配偶率は上昇している。このことは、平均初婚年齢の低下を意味する。享保一七年には女子一六-二〇歳の結婚は二名であるが、天保三年(一八三二)~一一年頃の女子初婚年齢を宗門帳よりあげると、一五歳-五、一六歳-二、一八歳-四、一九歳-三、二〇歳-一、二一歳-四、二二歳-四、二三歳-三、二六歳-一、三〇歳-一というようになり、初婚年齢は若くなっているようである。ただこうした中にあっても、二八歳、三〇歳の初婚は抱の娘というように差はみられる。