大堰

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 宝暦一四年(一七六四)申九月新井口大せぎ 大水ニ而落候ニ付 無據堀和里(わり)相成候 此段人足多分 間数堀口ヨリ井林□はづれ迠百四拾間半にナリ人足〆千十八人半掛申候(岡本家文書・諸事旧記より見出留帳)
 
 「大堰」は用水取入口の堰堤で、それが大雨で落ちてしまった。そこで、毎年の修復とは別の大復旧工事となり、人足千余人を必要としたわけである。濃陽志略(宝暦六年)によれば手金野村は「戸(戸数)六十一、口(人口)三百四十」とあるから、人足千余人は大きな負担であったと考えられる。