茄子川村の藤井日記の慶応二年(一八六六)五月の記事に、
十一日曇時々雨 田方植付相済 但八日より初 町内の極り十三日迄植付の筈定有之候故 西軒ニて田壱ツ残シ置(市史中巻別編九三七頁)
というのがある。これは扇状地形で、小河川引水と溜池引水にたよっている茄子川村において、用水の水を有効に利用するために、村の約束(極(きま)り)として、田植えの期間を定めたものであろう。
このように、稲作中心の農業では、田に水を引くことは特に重要なことであって、知行主の規制のもとであるが、井組・井がかりなどの共同体的約束(水利慣行)で、用水利用と井堰の維持管理をおこなって、現在にいたっている。
どのような監督・援助のもとでどんな水利慣行、風習、問題があったか、一般的には次のようなことである。