個人対個人でもそうした水争いを水論という。茄子川村の例であるが、参考として次にあげる。
一 札之事
一 太左衛門扣きぬ屋上田三畝十二歩と忠八扣きぬ屋上田三畝十五歩と当亥水論致候節市三郎内ニテ取噯(あがない)双方和談致候処 此度 右之場所太左衛門 田直し致候に付 忠八田水通り不申様に成水論致候に付 各立合致 見分向後申分無之様ニ取噯候忠八扣の田は水かけ申節は水上より水減来り太左衛門扣の三畝十弐歩を通シ申筈に候 尤太左衛門田の水をかわかせ取申筈にて無之候 右之通にて 双方致納得事済申に付 取噯の連名致加双方へ相渡し置申候 右之通向後急度相心得可被申候事
宝暦五年(一七五五)
亥十月 市三郎 印
金六 印
源蔵 印
庄屋 半蔵 印
同後見 一山 印
太左衛門 印
忠八 印
水論は旱魃で用水不足のとき、慣行無視がなされる場合に起った。争いの現場ではバ声をあげての衝突もあったが、たいていは調停、訴訟で争われた。