明和七年(飯沼村宮地藤四郎日誌より)

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旱魃の年である。飯沼村役人藤四郎(宮地家)日記によって、飯沼村における水利慣行の実際例や水乞いなどの共同体行事をみてみよう。この日記の明和七年(一七七〇)分記事によれば、
 
 六月五日  天気吉 業休仕候(田植終了の休日)
 八月六日  雨ふり 昼から天気上り 祭礼に拾弐燈だけ立申候 りうせい[流星花火名]打上 がらんせい壱本出し申候 東の村も干魃ゆへ 小おどり道行だけ也 野井祭礼も右の通 阿木村は一回休申候
 
 とある。この間、六月、閏六月、七月、八月で九〇日間あるが、雨は閏六月一日と七月五日に小雨があっただけである。