郡奉行 大田才兵衛
〃 松岡勝之進
手代 林常助
目付 福岡伝五平
の見分を受けることになった。その取調べの様子は、次のようである。
・奉行 水門の口にて、大野村友右衛門(組頭)を召し「此水ハ井水の水ト思カ 又地水ト思カ」
・友右衛門 「恐入テ 地水ト存候」
・奉行 「役人何カ疑敷思ヤ」
・友右衛門 「此切ぬきより水ヲ落スナリト存ジ候」
・奉行 久左衛門召して 「この切貫より井水ヲ落シ候カ」
・久左衛門「是ハ祖父の代より御座候 麦田ニテ候得バ麦蒔候時分留水テ落シ候 井水ハ少も落シ不申候」
・奉行 「井水ヲ落スヲ友右衛門 慥ニ見カ」
・友右衛門 「慥ニ見ハ致ね共 井仲間者が落□と申候」
・奉行 「久左衛門ハ落ず 井仲間不見 夫ハ究(さっし)シト云者 究ヲ上(おかみ)江御苦労掛候事 不埓至極ニ候 井水ヲ不掛 出水ニテ養ヒ候ヲ 本田之除リハ成ぬではないカ」
・友右衛門 「差除(さしさわり)ハ小も成不申候間 恐入奉候」
それからこのことを半紙に「御書被 成」同役人代官手代、目付に見せて、相異なしと確認をした。
・代官 久左衛門に「水門拵候訳」を問う
・久左衛門 「是ハ此処ヲ五尺ホド堀割底石ニテ箱ニ致上ハ小石三尺積置 其上へ土ヲ上候」
・代官 友右衛門(大野組頭)を召して「水門疑敷(うたがわしき)ハ堀テ見ヨ」
・役人衆(村役人)一同に「水門ニ相違無御座候」
・代官 「以後彼是申ハ堀リ見ヨ」と四・五度被仰付候
・奉行 畑田上に 源十(溜関係者)を召して 「其方ハ差除成候訳申上ヨ」
・源十 「御苦労掛候ハ恐入候間差延得共 此度御見分に付テ申上候 是ハ古井水ニ候」
・奉行 「此義不明候 か様ニ証據なき事申候□不埓至極候」
・源十 「誠ニ恐入候」
こうして、畑田の出水使用は公認された上で、同月八日までに阿木本村の庄屋彦十などが中に入って和談成立し、組八分もとかれた。
この水論を通して、
① 本田と畑田の水利慣行上での差異。
② 出水といえども、その流れについては 水利権として考えていること。
③ 大名の政策(畑田開発)と地元井仲間の慣行との矛盾と、その解決の仕方
④ 水の問題は組八分まで発展する程、大問題であること。
などがあげられる[傍点筆者]。