阿木村の新田は 村立新田として、広岡新田、福岡新田、両伝寺新田、青野村などで 阿木村の江戸時代に入ってからの枝村新田(村立新田)として、はじまっていることは すでにのべた(第一章支配体制)。
この四つの枝村のうち、広岡新田は大名営とみられるし、両伝寺新田は岩村領重役の知行地でその知行主である荻野平右衛門の開発であり、青野村は鷹見弥左衛門が岩村領の許可を得て開発した新田である。福岡新田については、よく分からない。最大の広岡新田(高一五八石九六八余)と両伝寺村について、ここでは記すことにする。
阿木村の新田