目次
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第五編 近世(一) -関ヶ原戦から明治維新まで-
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第四章 村の生活
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第一節 用水・新田開発
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五 新田開発(阿木広岡・両伝寺・湯舟沢霧ヶ原)
寛永三年~同八年(一六二六~三一)
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この間に、名主嘉平次、その息子四郎右衛門、阿木村神主五郎大夫らが見廻って、村内に次の三社をまつるという(広岡神社由来記)。
・土岐右衛門頼常墳墓祠(寛永五年)
・血洗社(寛永六年)
・安気社(寛永八年)
寛永一五年(一六三八) 松平和泉守(家持)は浜松へ国替となり、丹羽氏が岩村城に入ってからである。寛永一六年、岩村城主丹羽氏定は「越沢入り」にて、氷餅をつくらせている(広岡神社由来記)。