寛永三年~同八年(一六二六~三一)

643 ~ 644 / 922ページ
この間に、名主嘉平次、その息子四郎右衛門、阿木村神主五郎大夫らが見廻って、村内に次の三社をまつるという(広岡神社由来記)。
 ・土岐右衛門頼常墳墓祠(寛永五年)
 ・血洗社(寛永六年)
 ・安気社(寛永八年)
 寛永一五年(一六三八) 松平和泉守(家持)は浜松へ国替となり、丹羽氏が岩村城に入ってからである。寛永一六年、岩村城主丹羽氏定は「越沢入り」にて、氷餅をつくらせている(広岡神社由来記)。