目次
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第五編 近世(一) -関ヶ原戦から明治維新まで-
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第四章 村の生活
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第一節 用水・新田開発
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五 新田開発(阿木広岡・両伝寺・湯舟沢霧ヶ原)
広岡新田の発展(人口・戸数など)
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阿木村枝郷と裁定された元禄一六年より一九年後には「享保寅検地」(元禄以後の新田検地)が広岡新田でも実施された。
享保七壬寅改 寅新田二〇石九斗五升五合六勺
田 八石一斗一升八合七勺
畑一二石八斗三升六合七勺
享保六辛丑改大縄場(見取田畑)
田一反一三歩 畑一反三歩
元禄年中以来大縄場 畑八反四畝
寅検地以後は村高には、大きな変化なく明治維新にいたっている(市史中巻別編)。
その間の人口、戸数などをまとめたのがⅣ-6表である。(広岡新田の村勢は元禄一六年の差出帳でよくわかる。これは中巻別編にあるから、ここでは省略する。)
Ⅳ-6 広岡新田人口、家数等の推移