尾張領の新田

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すでに第一章の支配関係でまとめたように、支配大名の直接収入を「蔵入」、家臣に土地を与えたものを「知行知」というが、石高考(徳川義親著)などによると、尾張領創設以前の新田高三七〇七石四斗四升六合は、創設後においては本田として扱っている。
 したがって尾張所領後に開拓された田畑は新々田となるわけであるが、これを新田畑としている。新田は年貢率は本田より低いのは岩村領内、苗木領内と同じである。新田の検地は一間を六尺二寸五分等をつかう。(これを尾張検地という。太閤検は一間を六尺三寸)
 当然ながら、新田検地は、その所領限りのものだから領知高とはならない。同じ考えでいって、給人知行高にも新田高は、ふくまないものとなる。そこで、給人知行村内の百姓が新田開発をした場合には、給人高以外の年貢であるから、全面的に給人が収納の権利をもっているとはいえない。つまり、所領主側は、その財政が困難になると、この点に目をつけて、こうした新田、林、芦原などからの収入を差出すよう、給人側に働きかけがあった。