住居の制限

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衣食と共に住も制限を受けた。宝暦七年(一七五七)苗木領主が令した「御領分村役人幷百姓江申渡条々」の中に、
 「……居宅普請これまた分限を考えべく候 向後普請仕候者共 委細書付をもって願立申すべく候」と、分限(身分)を考えた普請の許可制をとり、「尤(もっとも)願の趣を成就の後 相違候ハバ曲事なるべき事」と、願書と違う場合は曲事なるべき事と罰則も規定している。
 このように大名領での違いはあろうが、勝手に普請ができなかったわけである。
 飯沼村では、門を建てる場合は門株を必要とし、庇(ひさし)を作るときは長百姓の指図を受けなければならなかった(中巻別編村の生活)。
 明和元年(一七六四)の岩村御領分申合わせ覚では、「居宅の修理は成たけ自分細工にすべし、敷物は莚(むしろ)に限り畳や薄縁を所持すべからず」と、家の修理にも指図受け、畳、薄縁の使用も禁じられた。
 阿木村での一~三枚の薄縁の所有戸数は、Ⅳ-8表のようであった。

Ⅳ-8 阿木村における薄縁の所有数