供養塔造立の年代

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これまでは念仏講に関係の深い特徴ある石塔について述べたが、名号石や念仏供養塔の造立のない年でも、念仏の勤行が行われたのは当然のことである。この地方においての念仏講の起源は不明であるが、一般的に言われている中世まで遡るものと考えられる。この念仏講と念仏供養塔の関連が深くなるのは、この地方においては近世になってからである。それがいつころからかは、断片的な調査で確かなことは言えないが、六字名号塔と念仏供養塔の造立は一七世紀後半からであり、中津川市内においては旧大林寺跡門前[千旦林旭]の石幢六地蔵の脇にある宝永六年(一七〇九)の六字名号塔や会所沢[手賀野上原]にある寛文一二年(一六七二)のものが古い部類に入る。
 夜念仏供養塔については、飯沼の子安庵裏の元禄元年(一六八八)の石塔が古く、
「南無阿弥陀佛 四十八夜大供養 元禄元戊辰年三月吉日」
 と、刻銘が読める。これらの石塔は一八世紀中ごろに造立されたものが多い。念仏講連中により念仏供養塔が造立される様になるのは、石塔の年号などから近世になってからであり、このことは、市内各地において一般的に墓石が造立されだした年代とほぼ一致している。

Ⅳ-65 会所沢の念仏供養塔