二十三夜待ちは講元の家に集り、月読尊の掛軸を床の間にかざり燈明を点じて、御神体である月の出るのを飲食しながら待つのであるが、夜業をしていけないなどの禁忌があった。月待ちは月齢一七、一九、二三日を忌み籠る日と定め、正月、五月、九月の二三夜を重視した。
明和元年(一七六四)一二月の岩村御領分中申合せ覚[倹約の触れ]では、正月や節句、それに九月一七夜の月待ちにつくる強飯(こわめし)、餅などを少なくし、他家へ配ることを禁じている。このことは、岩村領内では九月一七日の夜が盛大であったことが分かる。しかし、これまでの調査では阿木地区では、二十三夜待ちの石塔は確認できていない。
Ⅳ-67 茶屋坂の二十三夜塔