二十三夜塔と月待ち

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旧街道屋並外れとなる茶屋坂には、庚申塔、常夜燈と並び天保六年(一八三五)九月に造立の二十三夜塔がある。これは二十三夜講の講員により造立されたもので、市内各地の路傍でよく見かける石塔である。
 二十三夜待ちは講元の家に集り、月読尊の掛軸を床の間にかざり燈明を点じて、御神体である月の出るのを飲食しながら待つのであるが、夜業をしていけないなどの禁忌があった。月待ちは月齢一七、一九、二三日を忌み籠る日と定め、正月、五月、九月の二三夜を重視した。
 明和元年(一七六四)一二月の岩村御領分中申合せ覚[倹約の触れ]では、正月や節句、それに九月一七夜の月待ちにつくる強飯(こわめし)、餅などを少なくし、他家へ配ることを禁じている。このことは、岩村領内では九月一七日の夜が盛大であったことが分かる。しかし、これまでの調査では阿木地区では、二十三夜待ちの石塔は確認できていない。

Ⅳ-67 茶屋坂の二十三夜塔