髪置と元服

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安永六年(一七七七)藤四郎の子亀五郎は七歳で髪置をしており、太郎左衛門に中剃りをしてもらっている。天明五年(一七八五)に一五歳で元服し亀吉と改名している。また、市右衛門の子、養吉は天保一四年(一八四三)一二月四日に、やはり一五歳で元服し与右衛門と改名、酒、強飯、袋扇子が祝儀として寄せられている。「全国風俗御問状」では元服のことを「十三歳十五歳ニ吉日を撰ミ、両親有之候者を頼ミ元服を仕候 祝ひハ赤飯等仕候」とあり、両親の健在な者を烏帽子親に頼み元服したことが分かる。親代りとなる烏帽子親や髪置きのとき中剃りをする者、それに名付親など、擬制的な親子関係を多く結び、不測の事態のときの相談相手や援助者としている。