一定の口数を定めて、加入者をあつめ、一定の時期ごとに、一定の掛金をし、一期ごとに入札などをして、掛金のなかから、すべての加入者に順次に給付していくもので、この仲間を「無尽講」とか「頼母子講」といった。
頼母子とは「頼み申す」「田の実」から出たといわれ、経済的、互助的組合であって、鎌倉時代に困窮者に融通し、救済したのがその起源と言われ、室町時代に形式がととのい江戸時代に普及した。中津川市内関係の村々においても、個人的な貸借関係文書とともに、頼母子手形は数多く残されている。
頼母子手形之事
一 ①当村与助元仕候 ②御仲間拾人として
③金子弐両[印]弐分ト銭六百四拾八文 御持寄
被下 慥ニ請取 ④御年貢相立申所実正也
⑤此送り金 壱ヶ年ニ金壱分ト七匁五分宛
来ル亥ノ暮ゟ寅ノ暮迠 ⑥四年之間 ⑦講本(元)
御座敷 急度出可申候 ⑧此質入ニ 我家
家材(財)書入ニ仕候 若送金壱ヶ年ニテも相滞
申候ハバ 右しち入之家材(財) 御仲間衆中御
取御支配可被成 其節一言之義申間敷候
爲後日仍テ如件
千旦林本人 与助 印
⑨同所請人 又蔵 印
宝暦四甲戌十二月
御仲間⑩衆中(-線は筆者)
(千旦林・林家文書)