頼母子講の御馳走

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頼母子講を発会して、仲間衆中に参集を願った時には、何らかの御馳走を振舞うのが普通であったし、毎度の講会でも食物が供された。
 この頼母子講の御馳走について、慶応元年(一八六五)霜月二日の、茄子川村久左衛門日記(市史・中巻別編九二二頁~)に「木村弥惣殿 金百両頼母子発起初合有之候」として、次のように御馳走の献立が記録されている。
献立
  丼 こん丹やく
   丼 むき身   皿 さし身・こん婦   丼 たこ
 酢味噌 打大根・煎(いり)酒懸ケ
  丼 菜志たし   吸物 鳥   大平 かぶら   煮込 志めじ・栗・阿ひる
 牛房(こぼう) 阿ん掛 丹ん志ん・こん丹やく
  吸物 むき身   硯蓋 蓮根…かう茸   飯   坪 こんにやく・丹ん志ん
 但白味噌 津具み・板 牛房・のし玉子
  大皿 大勝魚   なし
   汁 焼とふ婦   千代久 たこ
 青身 大根おろし
  生盛 白が大根・にん志ん・岩葺   引物 板
 いごのり・作身・外ニけん 海老
   平 山いも・牛房・青いた
 波たけ・板

 以上のように、大皿は「大勝魚」、引物付きでなかなかの豪華版である。金百両の頼母子講であるから、大きい頼母子講であろう。どんな人たちが参集したかは分からない。