安政六年(一八五九)、山村甚兵衛発起の「三千両講」が発会した。木曽講と呼ばれているが、山村氏の財政再建の調達金であったと考えられる。
こうした支配者側の財政救済の頼母子講に、領内[知行所内]の有力者が尽力した場合、何らかの褒賞がなされた。この三千両講の場合も、中津川宿問屋市岡長右衛門は「宗門一札一紙」を許されている。参考として「木曽法無尽勘定書」を全文所収する。
木曽法無尽勘定書
一金五百両 発起取金
但金三拾三両壱分 子方拾五人掛金
永八拾三文三ト(分)三厘ツヽ
一金五百両 二会目取金
内金五拾両 発起壱口返金
同四百五拾両 拾四人掛金
但壱人ニ付金三拾弐両
永百四拾弐文ハト壱厘ツヽ
一金五百両 三会目取金
内金百両 二口返金
同四百両 拾三人掛金
但壱人ニ付金三拾両三分
永拾九文弐ト四厘ツヽ
一金五百両 四会目取金
内金百五拾両 三口返金
同三百五拾両 拾弐人掛金
但壱ニ付金弐拾九両ト
永百六十六文六ト六厘六毛
一金五百両 五会目取金
内金弐百両 四口返金
同三百両 拾壱人掛金
但壱人ニ付金弐十七両壱分
永弐拾弐文七ト弐厘七毛
一金五百両 六会目取金
内金弐百五拾両 五口返金
同弐百五拾両 拾人掛金
但壱人ニ付金弐拾五両ツヽ
一金五百両 七会目取金
内金三百両 六口返金
同弐百両 九人掛金
但壱人ニ付金弐拾弐両
永弐百弐十弐文弐ト弐厘ツヽ
一金五百両 八会目取金
内金三百五拾両 七口返金
同百五拾両 八人掛金
但壱人ニ付金拾八両三分ツヽ
一金五百両 九会目取金
内金四百両 八口返金
同百両 七人懸金
但壱人ニ付金拾四両壱分
永三拾五文七ト七厘ツヽ
一金五百両 拾会目取金
内金四百五拾両 九口返金
同五拾両 六人懸金
但壱人ニ付金八両壱分
永八拾三文三ト三厘三毛ツヽ
一金五百両 拾一会目取金
但金五拾両ツヽ 拾口返金
掛金なし
一金五百両 拾二会目取金
但金五拾両ツヽ 拾壱口返金
残金五拾両 取番除拾五人ニ割戾
但壱人ニ付「(朱書)金三両壱分銀五匁ツヽ」
一金五百両 拾三会目取金
但金五拾両ツヽ 拾弐人返金
残金百両 拾五ニ割戾
但壱人ニ付「(朱書)金六両弐分銀拾匁ツヽ」
一金五百両 拾四会目取金
但金五拾両ツヽ 拾三人返金
残金百五拾両 拾五ニ割戾
但壱人ニ付「(朱書)金拾両ツヽ」
一金五百両 拾五会目取金
但金五拾両ツヽ 拾四人返金
残金弐百両 拾五人割戾
但壱人ニ付「(朱書)金拾三両壱分銀五匁ツヽ」
一金五百両 拾六会目取金
但金五拾両ツヽ 拾五人返金
残金弐百五拾両 拾五人割戾
但壱人ニ付「(朱書)金拾六両弐分銀拾匁ツヽ」
以上
会合 年ニ壱ヶ度
発起 子方共取候者ハ都而壱割返金
但拾弐会月ゟ割戾し請取候事
五ヶ年割戾し金高五拾両也
御撫育方御主法立
一金五百両 発起取金
一同五百両 二会目取金
〆金千両也
是ハ当時困窮村々江為御救御貸渡相成来卯年ゟ無尽終年
迠講法之通返納御取立相成候ハハ終年ニ至元金消(カ)ニ相成
候付窮村立行可申与奉存候
一金五百両 満会取金
是ハ初会ゟ十会目迠之掛金〆弐百四拾壱両壱分餘御支配所内
奇特人江為御冥加掛捨被 仰付 十二会目ゟ之割戾し金三拾
三両壱分餘右奇特人江御返シ相成 差引金弐百七両三分餘懸
捨御冥加相勤候ヘハ前顕五百両分御陣屋御備金与相成 永々
貧村御撫育筋□立与相成可申候
一拾五人講口数割方
一 二会目 貧村御撫育筋之内
一 三会目 早取望之者ヘ遣ス
外 加口一口
一 四会目 此分持込ニ而
五会目 望之者ヘ遣す
六会目
一 十六会目 御備金□立
奇特人持
〆七口
残八口 此分御支配所村々
凡六万石ニ割
高千石ニ付 口数壱ト三厘三毛ツヽ
但壱ト初年之掛金三両壱分銀五匁ツヽ
翌年ゟ年々減し方書面之通り