① 組頭給は前々の通り四俵とする。役人一五名は小役[夫役の一種]勤めをしていないが百姓並に小役を勤めること。
② 中津川宿へ助郷伝馬の支配に出勤したとき、賃銭取りをなされるが、これからは役柄にて勤めないこと。(伝馬支配として、一般農民より賃銭を多く取っていた。)
③ 橋場にて寄合のとき、酒代などは自分方手銭で支払うこと。
④ 付拂いについて。斗桝について[詳細不明]。
この要求の返答が得られなかったのか、四月初めに再び右の願いを村役人に申入れると百姓代徳三郎はこれを拒んだ。農民は内談の上、四月一四日、みの・笠を着けて見沢の森[八幡社・白山若宮を合祀す]に焼飯を持参し集結。飯沼村庄屋を立会人として、阿木村庄屋、同本組頭両名と直接の交渉をした。二人は要求を聞き村役人と相談すると、村役人の中には岩村[岩村郡方役所]へ届け出よと言う意見も出たが、要求通りとすることで一件は落着いた。
しかし、前記の要求に対し、農民側は飯沼村庄屋立会のもとで結果の報告を六月に受けているが、これは小村の代表二名に伝える方法で、農民を分断する形で行われている。
また、この一件に付き、代官に結果を報告すると、「願を相止め御用仰付けられ候」と、農民の要求を拒否する様にとの回答であった。結果の報告や代官の回答にいたるまでの経過は記録されておらず、その結果は不明であるが、農民はこの要求を取り下げている。
村役人は、この一件の始末を証文に残して置くため、案文[内容不詳]を農民側に提出すると、農民はこれを拒み抵抗するが、村役人は「相背(そむ)き不埓(ふらち)」であると代官所へ訴え出た。これを受けた代官は、小村一三か村より三人ずつの農民を呼び出し、次の理由を挙げ各小村において発端人(首謀者)を調べて届ける様に申渡した。
① 大勢で徒党を組みもめた。
② 大道でかがり火をたいた。
③ 理由もなく見沢の森へ大勢集まった。
④ 證文の受取りを拒んだ。
農民は届出の日を延ばし、各小村(こむら)より発端人として一人ずつ出すことに決め、七月四日、発端人として上記の者が出頭した。
七月五日朝、岩村町会所にて叱責された後に帰村した者六名。他の六名は入牢の処分を受け、一度釈放された野田の惣八は七月二一日に入牢となっている。この一件は阿木村農民が村役人の「役得」と思われる慣例を改めさせようとことを起し、村役人側はその要求を受け入れている。岩村松平家は、阿木村の役人が意図した解決をするまで静観していたが、徒党して要求を通そうとする農民たちを是認することはできず、村役人に農民の要求を破棄させ、農民を処断することにより松平家の威光を領民に示したわけである。
Ⅳ-74 発端人として出頭した者と処分