文久三年(一八六三)七月九日の朝、落合宿本陣を西に向かって立うとする近江の商人萬屋仁右衛門が荷物を点検すると、所持金約一四〇両が見あたらなかった。同じ近江の商人である蛭子(えびす)屋利兵衛、寺井屋庄兵衛の手代安次郎、それに上松宿で道連れとなった彦根屋庄助が落合宿本陣に宿泊していた。
仁右衛門は本陣方に知らせ、それにより宿泊人約三〇人、本陣方の家族と使用人、それに本陣へ出入りの商人などの禁足をし、宿役人の立会いで取調べが行われた。その結果、犯人は彦根屋庄助であった。仁左衛門は
「金子滞りなく取戻し 大悦び安堵仕候」と、心境を書いている。この口書に「御上様へ御苦労御懸け奉らず……」
と、書いている様に宿役人が注進状を尾張表の役所や知行主の代官へ届けていないことが分かる。また、事件解決後の注進状も書いた可能性も少なく、問屋と言う肩書のない井口五左衛門への個人あての口上書であることから、金一四〇両という大金を盗られた事件であったが、不問にされたものと思われる。