この節では、他地区に対して比較的まとまった史料が残っていた飯沼村を中心に、村と宿場の事件を取扱い、その中で村が事件にどう対処し、どの様に解決をはかったかを書いたが、また、一方では村で解決できる犯罪の防止の対策も講じている。慶応二年(一八六六)の茄子川村の場合は、博奕の流行により村役人が迷惑になると、特に若キ者に次の取決めを示している。
・ 博奕宿をした者 過料金二分
・ 博奕宿に所属する五人組の者 過料金一分
・ 博奕を打った本人 過料金一分
また 他人の持山に入り木を伐った者は
・ 鋸で伐った者 金三分
・ 鉈で伐った者 金二分
・ 鎌で伐った者 金一分
・ 木を切った者の五人組も同様
と、「評議の上決定」した。この取決めは、五人組の連帯責任となっている。これは、村内事件や欠落(かけおち)などでも同じことが言え、相互監視にも通じることであった。
特に犯罪に関する史料は、ひそかに処分されたものが多く、日記・覚書や取交(とりかわ)した証文、それに注進状などで 当時の事件を知るわけであるが、事件発生から解決までの一連の文書がなく全容を知ることはむつかしい。飯沼村の事件を通して他村のことを推しはかると、他村でも同様な事件が多く起きていたにちがいない。
近世(一) 終り