中津川市史 中巻Ⅱ 目次

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口絵
凡例
第五編 近世(二)
第五章 林業
第一節林政と林業経営九二三
初期の林業九二三
林野制度九二六
領主の林制と林業政策九三八
法度と刑罰九五〇
利用九五六
伐木と運材九八〇
巣鷹山九八四
第二節山論九八八
山論九八八
保古山をめぐる山論九九四
その他の山論一〇〇八
第六章 宿・交通
第一節中山道一〇二一
成立と性格一〇二一
落合宿・中津川宿付近の中山道一〇二八
中山道の道筋一〇四四
第二節中津川宿一一二〇
中津川の地形一一二〇
慶長七年以前の宿駅一一二八
宿の成立一一三〇
中津川宿のようす一一三二
 (一)宿一一三二
 (二)宿村一一五六
 (三)中津川の商業一一六九
人馬の継立一一八九
 (一)伝馬役一一八九
 (二)伝馬等の嘆願と申し合わせ一二二三
 (三)継立のようすと駄賃銭一二三〇
休泊一二五八
 (一)本陣・脇本陣一二五八
 (二)休泊一二六六
 (三)本陣の収入(休泊料)一二八五
 (四)宿役人一二九一
 (五)宿の継立をめぐって一二四九
第三節落合宿一三〇六
落合宿の成立と条件一三〇六
落合宿一三〇九
落合大橋の架橋と寛保の新道一三二一
第四節中津川・落合両宿の助郷一三三〇
助郷一三三〇
中津川・落合両宿助郷のはじまり一三三二
中津川・落合両宿助郷の特色一三三七
助郷割当の実際一三四一
助郷負担と農民一三四七
第五節助郷をめぐる諸問題一三五九
中津川・落合両宿助郷の主な動き一三五九
苗木領の助郷一三六三
 (一)特色一三六三
 (二)助郷総代について一三六四
 (三)苗木領の助郷負担平均割一三六六
 (四)飛州伝馬一三七〇
広岡新田の又助郷一三七四
 (一)本村を助ける枝村一三七四
 (二)広岡新田へ大井宿代助郷のこと一三七七
助郷制度のゆきづまり一三七九
 (一)和宮下向と助郷一三七九
 (二)文久三年以後一三九〇
両宿と助郷村の争い一四〇五
第六節主な通行・特色ある通行一四一四
主な姫宮通行一四一五
大名通行一四二〇
役人通行一四三〇
日光例幣使の通行一四三五
茶壺道中一四四一
幕府天文方役人の通行一四四三
文人・墨客の通行一四四六
第七節茄子川村の小休所一四五九
第八節行旅一四六七
旅行の制約一四六七
伊勢参り一四六九
三河・遠江の旅一四七一
善光寺参りと女人手形一四七四
西国めぐりと金毘羅参り一四七六
第九節脇往還一四九〇
飛驒街道一四九〇
城への道--苗木道一四九四
参詣道一四九七
村を結ぶ道一五〇一
阿木村内の道一五〇五
第七章 文芸・教育
第一節文芸一五〇七
概説一五〇七
俳諧一五一三
和歌一五四七
第二節教育一五七七
寺子屋一五七七
藩校一五八一
第八章 寺社
第一節神社一五八三
古代の神社一五八三
中世の神社一五八七
近世の神社一五九二
第二節寺院一六〇七
中世の廃寺一六〇七
近世の寺院一六一四
苗木領の寺院一六三七
第九章 幕末の中津川
第一節国学と中津川一六五一
国学と中津川宿役人一六〇一
苗木の平田派国学の導入一六五八
水戸浪士の通行-天狗党-一六六〇
第二節東山道軍一六七一
赤報隊一六七一
東山道軍一六七九
第三節民衆の動き一六八六
中津川商人の活躍一六八六
農民の負担と騒動一六九一
民衆の動き一六九五
第四節苗木領政の動揺と改革一六九七
財政の窮迫一六九七
職政改革一七〇二
幕末苗木領政の動向一七一一
第五節廃仏毁釈一七一七
神葬改宗一七一七
廃仏毁釈一七一八
第六節藩の解体一七二四
版籍奉還一七二四
廃藩置県一七二五
後記
時刻表・十干十二支
度量衡換算表
年代表
[付] 中津川市史 中巻Ⅰ 目次 
第五編 近世
第一章 支配体制と村のしくみ
第一節関ヶ原戦後の領主
第二節領地所属の変遷二四
第三節領主の略系譜四五
第四節苗木遠山家の家臣団八一
第五節近世の農村一二二
第六節地方支配一四〇
第七節村役人一六七
第八節五人組二三〇
第二章 検地・貢租
第一節検地二四一
第二節各領主による検地二五四
第三節検地の実際二六〇
第四節石盛三四九
第五節本途物成三六〇
第六節雑租三九一
第七節年貢納入の実際四七一
第三章 宗門改め
第一節宗門改め五〇七
第二節湯舟沢村の宗門帳五四〇
第三節千旦林村・中新井村の宗門帳五六七
第四節飯沼村の宗門帳五七八
第四章 村の生活
第一節用水・新田開発六〇五
第二節衣・食・住六六七
第三節農事暦六八〇
第四節災害と凶作七〇三
第五節年中行事七四五
第六節祭礼と芸能七六四
第七節信仰七九四
第八節人の一生八三五
第九節頼母子講八四〇
第一〇節騒動八六一
第一一節事件九〇七