木曽役木値段と友政

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遠山友政が木曽代官山村氏らと、木曽御用木仕出奉行を勤めたことは前述した通りであるが、他に木曽役木(榑木と土居)の売値にもかかわっていたことがわかる。これは木曽から出る役木の処分については、その半数近くが買木として出されるので、材木商人に売り渡すための値段を定める必要があった。そこで木曽役木の採運と処分に関係の深い代官ら五人が売値を協定していた事実が、慶長一一年(一六〇六)の数通の書状によってわかる。その中の一人に遠山友政の名をみることができる。
 これらの書状によると、木曽の役木は金建てで取引されていたが、金銀の両替が不同であることを理由に材木商人が判金で買うことを拒否するようになった。このため、関係者が相談の上、今後銀建ての取引に改めるに際しては、上方と田舎の売り値を考え合わせて、役木の銀値段を定めたとするものである。
 こうした事実を勘案してみると、初期頃の木曽木材の採運・運用等に遠山友政の果たした役割は非常に大きなものがあったとわかる。