木曽山の絵図

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元和の頃、佐藤半太夫が当時中津川で人々を集め、木曽山の絵図三一枚を作った。村々の絵図の中、付知の百姓だけが提出するのが遅れたため、付知山の形が木葉形で残ったといわれている(恵那郡史)。