巡見の実際

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延享二年(一七四五)四月、石黒丹下・市川甚左衛門・林次右衛門・丹羽武右衛門・鬼頭伝太夫・若井貞左衛門・郷本新助ら同勢四〇名の者が贄川宿から木曽の村々を廻村し、湯舟沢に入ってからは霧ヶ原を通り、ぬる川岩ヶ沢・東平・巣山・巣元を検分して落合泊りで調査している。
 寛延元年(一七四八)一〇月には、生駒因幡・林次右衛門・寺町兵左衛門・郷本新助・若井貞左衛門・千村義左衛門等一五名程が、贄川から廻村し、馬籠泊りで山口村・湯舟沢村と調査し、新茶屋にて休み、中津川泊りで巡見している(島崎家・地方留帳)。
 宝暦七年(一七五七)八月には、加賀島小兵衛・八木与市・山村外記等同勢三五名が中津川から入り、霧ヶ原・一の沢・渡中木道まで調べ、昼食をとり、後、馬籠宿を検分し妻籠泊りで木曽谷へ入っている。
 このように、木曽谷の調査については、巡見使が度々派遣されていることは前述の記録でもわかる通りである。このように、尾張領では山林の経営には特に意を用い、またその都度、各種の施策がなされ山林の保護に努めていることがわかる。しかし、この事は一方では山林の厳しい規制として農民にはねかえり、苦しめる結果ともなった。