こうした巡見使とは別に、湯舟沢村では留山の見廻りをしたことが宝暦一一年(一七六一)の覚帳でわかる。
Ⅴ-10 湯舟沢村留山見廻り状況
月によって見廻り回数は異なるが、平均して月に三回~四回庄屋か組頭一名に百姓二名の一組で二組をつくり、二手に分れて見廻り、一〇月奉行所に届出している。こうしてみると、その村内の留山については、その管理・保護の責任に当たっていたと考えられる。尾張徳川家からの時折の見分の外、巣山・留山については、毎年計画的に、継続的な見廻りが行われていた。山林の中でも、特に、尾張徳川家が指定した、巣山・留山については、毎年五月・一〇月の二回、徒士一名、足軽一名、二名で一組となり、これを四組つくって巡遣、見廻りをさせ、また三年に一回、五組をもって御山全体を見廻りさせた。
五月・一〇月の見廻りのとき、雪があって見廻りに困難なときは、村役人において、時々見廻りをし、責任をもって、盗伐・伐越、その他不正なことを取り締る書付を提出させた。この様に山林の監視の目は鋭く光っていた。