留山・巣山の見廻り

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尾張領では留山の管理保護については、時々巡見使を派遣していることは前述した通りである。尾張領の材木役人が来るねらいは他領境廻りと木種見分である。当然役人が入り込むとなると、庄屋外村役人や百姓たちが動員されることになる。文化九年(一八一二)八月の境改めについてみると、奉行所役人二名、庄屋一名、組頭二名、案内二名、人足三名、杣頭一名、弁当持ち二名、宿とり夜支度二名、他に二名と約二〇名近い総勢で行われることがわかる。出役した人々には当然、手当として庄屋には米二升、人足・案内には米一升ずつが支給されている。
 こうした巡見使とは別に、湯舟沢村では留山の見廻りをしたことが宝暦一一年(一七六一)の覚帳でわかる。

Ⅴ-10 湯舟沢村留山見廻り状況

 月によって見廻り回数は異なるが、平均して月に三回~四回庄屋か組頭一名に百姓二名の一組で二組をつくり、二手に分れて見廻り、一〇月奉行所に届出している。こうしてみると、その村内の留山については、その管理・保護の責任に当たっていたと考えられる。尾張徳川家からの時折の見分の外、巣山・留山については、毎年計画的に、継続的な見廻りが行われていた。山林の中でも、特に、尾張徳川家が指定した、巣山・留山については、毎年五月・一〇月の二回、徒士一名、足軽一名、二名で一組となり、これを四組つくって巡遣、見廻りをさせ、また三年に一回、五組をもって御山全体を見廻りさせた。
 五月・一〇月の見廻りのとき、雪があって見廻りに困難なときは、村役人において、時々見廻りをし、責任をもって、盗伐・伐越、その他不正なことを取り締る書付を提出させた。この様に山林の監視の目は鋭く光っていた。