湯舟沢山の植林

948 ~ 948 / 1729ページ
尾張領木曽谷では相次ぐ伐採に対し、その対応として、享保頃から本格的な植林が進められていったと考えられる(山村家留帳抜萃)。しかし、その規模、計画性等については系統的には不明である。
 湯舟沢山については、安永元年(一七七二)には、杉・栗・桐苗を、天明五年(一七八五)には杉を植付けさせているが、しかし、一般には活着率が低かったようである。