山林の保護については、それぞれの領内において、万全を期せられていたが、山林資源の減少に伴い、資源確保のため、厳しい規制や禁制が敷かれるようになってくる。各領内により多少その規制の程度にちがいはあったが、特に、その取締りの厳しかったのは、尾張領のなかでも湯舟沢村であった。従って木曽では、盗伐・背伐などには、「檜一本に首一つ」の諺が生まれる程、極刑が行われた事実もあるようであるが、総てそうであったとは考えにくい。
山林に対する規制は、盗伐の禁止・特定の指定地域(留山・巣山)への立入禁止・停止木制・家作材の制限等次々に加えられてくるが、その罰則については、今一つ不明である。多くの場合、その規制の末尾に「何様之曲事にも可被仰付候 為後日如件」という形式が一般的で、違反者に対して「成敗」「曲事」を申し付けることをいい渡しているのが多い。
或は、庄屋が百姓に読み聞かせ、村民一同が請書に加判して誓約するという形式をとっていることが多い。従って、禁止・指示事項を遵守する立場であって刑の法体系が明示されていたとは考えられない。