木の利用については、人々の生活に関係の深いものに土木用材がある。中でも橋については大部分が木造栱橋であったので、水害等の折には流失することも多かった。架替(かけかえ)の際の費用等については、労力は地元負担をするにしても、その用材については相当数必要であるし、河川によっては長大木をも必要とした。こうした折の必要資材についてはどのように調達されたか、湯舟沢村の例について見る。
文化五年(一八〇八)に湯舟沢村の留野橋(長さ七間三尺・投渡し)と島田川橋(長さ六間三尺・投渡し)が流失した。仮橋で間にあわせていたが、架橋することになった。どの位の材料とどこから調達しているかについてみると、留野橋では松三本(長七間三尺)栗三本(長二間半、元口一尺)刎木、栗二本(元口一尺)敷板、伐出場所は川表預り林の分である。島田川橋は栗で一二本(元口九寸)涌柱、三本(長三間半・元口一尺二寸)、五〇本(元口四寸)、一本(長一丈本木)、四本(長六尺、元口九寸)、二本(長二間)ぬき木、合計七二本。松、三本(元口一尺一寸長五間)伐り出し場所は、川表・高野・中島林・程島林・堀田林の預り林や各林から間に合せている。また時代はさかのぼるが、寛政六年(一七九四)の流失の際の島田川上ノ橋や上田川橋は、殿畑から栗木を出していることがわかる。