捕鳥用には、古くから鳥もちが用いられていた。鳥もちは、もちのきの樹皮をつきくだいて作った粘り気の強い物質である。もちは五・六月頃、もちの木の樹皮をはぎ、秋まで水に浸しておき、樹皮を腐らせ、これを臼でついて水に流し、それを四回繰り返して作る。もちの木は、この付近の山に自生している。
湯舟沢村のように、山村では別途の収入がないので、生活は大変苦しいようであった。文化一〇年(一八一三)には、留山にて黐(もち)仕出の許可願を庄屋・組頭連署の上、上松材木奉行所に提出をしている。こうした願いを出すに至った理由としては、近年往還への出役が多くなり、大変困っていることと、文化五年(一八〇八)洪水のため、留山からの流木が多く、村方から人足一三〇〇名程出役し、水上げしたこと、しかし、この人夫手当については、御用材木でないので、要求しなかった。従って、こうした負担で生活が苦しいので、留山の内で黐を出すことを願い出たのである。勿論、留山であるので大切に守るし、冥加運上金として黐六〆目に銀一匁五分宛上納することを申出ている。しかし、この結末についてははっきりしない。