農間渡世

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近世の農民の生活を考えると、生業は農業であるが比較的余裕のある時期には、生計をたすけるための余業をやっていることが、各村、宿の記録の中に散見される。こうした農民が耕作の合間に営む各種の余業は何時頃から始ったかについてであるが、幕府は文政一〇年(一八二七)関東取締改革を実施したが、この改革の一環として農間渡世の調査を実施した。この調査は、天保九年~一四年(一八三八~四三)にかけて実施された。これらの調査は、幕府が調査すべき渡世名(例えば質屋・穀屋・酒造・酒小売・煮売・木綿織・荒物・油絞・宿屋・髪結等々。野村兼太郎編著、「村明細帳の研究」には、武蔵足立郡三か村、同高麗郡二四か村、その他七か村、計六一か村の天保期農間渡世を九項目五四種にわたり掲げている。)を指定して、それに答えさせたものだから、指定以外の渡世も自然に存在した。これらの渡世は、いうまでもなく、文政~天保以前から存在した。「いつ頃から、その渡世を始めたか」の問いに対し「寛政(一七八九~一八〇〇)前後から」と答える者が相当数存在することが注目される。このような農間渡世は、農村における商品経済の一定の展開、貨幣流通の一般化を示すものである(新版郷土史辞典)。
 この様に、この地方の農民も、農間期を利用して生活のための諸物資の確保、農業生産のための肥料づくり、或は、山林資源を利用しての生計援助のための余業等行っていることがわかる。
 市内旧各村の「村明細記」によると、次のようになる。この「明細記」は旧中津川各村は明治三年(一八七〇)、旧苗木各村、旧坂本村は主として明治四年(一八七一)旧阿木各村は明治五年(一八七二)のものである。山林にかかわる仕事としては、採薪・草刈等が圧倒的に多いことがわかる。