落合綱場

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木曽から出される公儀用、尾張徳川家用に使う材木は、木曽川を利用して運び出された。一般に、春四月斧入れを行い、伐採した木材は、長さ約三m大に切られ、九月に山落しを終え、一〇月から年末まで小谷狩、一二月半ばから大川狩をし、錦織に送られる。
 川狩されて流される木材は、川筋の処々に設けられた綱場に入る。この綱場では、留綱を張って流材を一旦集め、再び綱を解き流した。次々の綱場を経由して錦織まで下るのである。
 木曽川の落合綱場は「ふなど」(現在の弁天橋の下)であり、また、落合川との出合、鵜の瀬のほとり(今の堰堤の所)でも綱を張って時々集材した。綱場に張る綱は白口藤で、尾張領では、主として木曽谷のものを使用した。下流の方では、久須見、藤[恵那市]などに綱場があり、日用(雇)の休息場として賑った。
 恵那山・湯舟沢山などの木材の搬出は、公私材とも湯舟沢川・落合川を利用して、前述のように行われ、一二月・一月頃の落合川原は、日用の「オンポコイコイ」という掛声と焚火で日々賑い、男の子らは三文鳶口を持って川狩を真似てあそんだ(落合郷土誌)。