川並法度

982 ~ 983 / 1729ページ
伐木・小谷狩・大川狩・綱場と一貫した作業全体を川狩と呼んでいる。従って山元で伐採された木材が谷から川で運材されるから、相当の日数を必要としたし、またこの間に、盗木されないように、厳しい制約があって、住民たちにこれを守らせた。そのために各村は毎年「川並法度手形」という誓約書を提出し、その制約を厳守した。
 嘉永三年(一八五〇)川並手形(島田家文書)について、その内容をみると、
一 木曽の山々から伐出した御注文材木は、大切にし、山元・谷々・川並において一本・一挺も盗まぬよう村中老若男女共申付け守る。
一 川狩の節は、子供達まで川へ出て材木を指さすことのないように、また材木が流出した折には、昼夜にかぎらず指図次第、早速出て水上げをする。
一 商人が出した木についても前と同様。
一 大水のとき流出した用木は勿論・枯木・枝付木にても、橋材その他御用に立つ木品みだりに伐取らぬこと。
一 百姓はお互に吟味し、若し違反する者があれば早速申出、かくしおき脇よりわかれば、庄屋・組頭まで処分を。
一 停止木六木手をつけないこと。
一 杣日用の者は、宿をした者からよくいゝきかせ、法度を守らせるようにする。
こうした誓約書を、村中の惣連判で奉行所へ一札をいれている。
 木曽川の川狩になると、苗木領の諸村を通らなければならないので、苗木領ではこの尾張領の川狩については、「木曽川筋尾張様御材木折々川刈(狩)御座候て前廉も盗取六ヶ敷儀御座候、川なミ(並)村法度堅申付候事」(苗木万仕置法度書之覚帳)とし、「一 木曽川材木川かり(狩)有之時 川はた(端)一円出申間敷候 縦大水たりと言とも 右之趣下々へ 堅可被申付候事」折々川狩が行われるので、川狩りの折は、たとえ大水が出たときでも川ばたへは出ないようにせよ、という覚書を村々へ出している。