江戸初期の巣鷹に関する文書は残っていないが、享保以降は四月から六月にかけて、鷹役所から巣鷹発見の督励、巣下しの褒美等に関する触書が、毎年のように出されている。享保一八年(一七三三)の触書でみると、
一 御巣鷹之儀 去年之通 村々出精見出シ指上可申事
一 御鷹下シ比合儀 追而御鷹通方より申触ハ可有之候得共 例年早過下し指上御用不相立御鷹も有之不可然候 御巣鷹せなかに忍毛少々見候程見合下し可申候 其程御鷹通方より申渡之趣弥以相守下し可申事
一 御鷹御褒美之儀 彌去年之通急度可置候間 其旨心得少も油断仕間敷事其旨
一 他村附之御山ニ巣有之杣日用類見付候へハ其村え申届其所之巣主相対ニ而下し指上可申事
一 御鷹巣村々巣主共ハ不及申候得共別而無油断見出し下し指上可申候 若又巣主外之者見出し候ハヽ 其村巣主え申届下ス比等[ ]抹無之様ニ可致事
一 御巣鷹下し候節 飼鳥難儀之由ニ相聞候間 彌村方取持不指支可致事
一 御巣鷹入候而江戸江御指下し之御巣籠ハ於藪原出来巣主共不申筈候 可在役所ニ而飼立籠之山藤へ入指上可申上也
右之趣 庄屋・組頭共委細承知仕 巣主ハ不申及小百姓迠互ニ為中間出精[ ]無之御巣鷹数指上申様ニ相心得可申事
四月には、巣下しの時期について、鷹の腹まわりに黒い毛が少々見えた頃下し差出すように 見にくければ、玉子をわってから二〇日程見合せる。褒美米は、前々の通り下される。献上した鷹一居(すえ)に、おっこ鳥金五両宛下される。巣主・小百姓に致るまで精出し、鷹を差し上げるように申付けよと、各村の庄屋・組頭に廻状が出されている。
五月には、東所より鷂の献上は済んだか、雀鷂はまだなので巣下(おろ)ししたら早々藪原御鷹役所へ差上げ、巣主は勿論、百姓までにも申渡すようにと各村の庄屋・問屋宛に通知が出されている。再三催促の通知も相次いで出されたが、六月に入り、王滝村から差出されたので、今後必要はなくなったから、その旨、巣主や百姓にまでよく伝えるようにと、役所からの触状が送られている。