宿のにぎわい

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「濃州徇行記」によると中津川宿は「平衍(へいえん)にして膏腴(こうゆ)の地也……家数百七十五戸 男女千二百廿七人あり 是は豊饒(ほうじょう)なる處にて 商家多く 町並屋作よし……定旅籠は三十戸ほどあり これも農商を兼屋づくりよし…」と述べ、中津川宿が広くて平らな処にあり、土地もよく肥えて実り多く、生活が豊かであること、また商家が多く、町並の家屋の作りがよいことなどを書いている。また大田南畝は「壬戌紀行」の中で「……中津川の駅の中をたてにさかひて小流あり、駅舎のさまにぎはゝし……」と中津川宿のにぎわいの様子(中津川の商業参照)を述べている。宿内には旅籠屋のほかに、食べ物を商う店や楊弓などの娯楽施設があったことがわかる。それに「瀬戸物の陶器多し」と、瀬戸物が多く売られていることにも目を付けている。
 中津川宿は宿場町としてのにぎわいを見せていたが、商業の町としても繁昌し、中津川以西の塩、砂糖、油などの物資を木曽地方や裏木曽三か村、それに恵那郡内の苗木領の村々へ売り、木曽地方の桧笠、曲物、塗物細工や恵北地方の莚(むしろ)、楮(こうぞ)、和紙を仕入れて中津川以西へ販売していた。月に六日の市が立った。毎月市が立つ町は、木曽、東美濃では中津川宿だけであり、中津川は恵那郡北部、木曽地方の物資の集散地であった(中津川の商業参照)。